ゴジラの味噌汁

かげろう(!日記)
'!' は論理演算子 Not です。
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06年  01月 某日

■  今更だから「三丁目の夕日」
原作に関しては連載が始まった当時はかなりはまってた。
ぽわー、っとしたムードで悪人が一人も出てこない、なんてのは割と好きなタイプのお話だったから。でも、そのうちキャラクターの平板さに飽きたのか、泣かせにあざとさを感じてしまったのか、とにかく読むのをやめてしまった。似たようなマンガの「じゃりん子 チエ」にはずっと付き合ったのに、何処が違うんだろう。って、それは別の話。

で、映画の方はそのキャラクターをかなり大胆にアレンジして、原作の味を残しつつ「映画」として良くまとめてある。六ちゃんを女の子にしちゃうなんてのはライトオーバーのクリーンヒットだ。細部にまで行き届いた映像作り。きめ細かな演出。ゆったりと時間が流れる脚本。ぴったり役にはまった出演者。
これらの映画としての要素がパーフェクトであると認めた上で、この映画の最大の売りでありキーワードの「昭和レトロ」と言うことになる。
ネット上の感想を読むと、当時を知る世代だけではなく、その子供の世代までも、「自分は知らないけど懐かしい」という感想が多い。
古いものを見て「古い」と思うか「懐かしい」と思うかは個人の感性の問題である。きっとこれは懐かしいと感じられる人だけが楽しめる映画だと思う。
そして、私は何故か「新しい」と思っちゃったんである。

そろそろ上映も終盤だと思うので書いちゃうけど、以下、ネタばれ、突っ込みなので、これから観ようとか、この映画をこよなく愛する人は読まないでください。
と言うわけで伏字の部分はドラッグ、反転で。

冒頭、子供たちが飛ばすゴム動力飛行機が高く舞い上がって当時の町並みを俯瞰するシーン。これは観客を映画の世界に引き込む重要なシーンである。セット撮影と見事なCGを上手く繋げて、かつてなら絶対に出来なかった自然な昭和の映像を再現してくれる。

でね、かつてはゴム動力ヒコーキ大好き少年だった私は飛ばす前に思ってしまうのですよ。
「小学生があんなに綺麗に作れやしないよ。」

蛇足だけど付け加える。
茶川先生の駄菓子屋の店頭に在ったから売ってた物を買ったんだろって突っ込みがあるかも知れない。
断言する。それは在り得ない。
確かにゴム動力飛行機を売っていた記憶はある(もう少しだけ後の時代の記憶だけれど)。でも、それは翼長30センチほどのオモチャの飛行機だ。
あれは「B級競技用」という本格的なライトプレーンだ。大多数の小学生が挑戦して挫折したはずである。今みたいにガンプラの完成品ですらお金を出せば買える時代じゃない。
その昔は自分で竹ひごをローソクであぶって曲げていたのが、始めから曲げた竹ひごが入ったキットを売っているだけで「すごい!」時代だったのだ。
今で例えるなら、そうだなぁ、町の中古自動車屋でF1...とまでは言わないけれどFJ1600のフォーミュラーカーを売ってるかい? って感覚である。
店頭の細長い袋に入ったキットすら昭和33年に売っていたか怪しいものだ。

そして子供たちがはしゃぎながら飛ばすところ。
「おい、そんな道端で飛ばしたら失くしちゃうだろ。」
当時、町並みは低かった。どこかの家の屋根に落ちたら二度と見付からないので、大事な飛行機を、ましてよく飛ぶ飛行機ほどそんな所では絶対飛ばさない。

まず「つかみ」で躓いてしまった。そんな重箱の隅を突付くなよと言われても生活実感だから仕方がない。でもここまではありがちなシーンだから許した。
決定的に「???」と思ってしまったのは重要なアイテム、「ミゼット三輪車」。これは原作でも重要なイメージキャラクターとでも言うべき象徴的なアイテムだから外すわけにはいかないのは理解できる。だから少し位のことは許す。

それにしたって昭和33年にあんなガタガタのミゼットは無いだろ!
どうひいき目に見ても10年以上は使ったポンコツだ。昭和40年代には在りがちだったけど、どんなに乱暴に扱っても発売されたばかりで、あそこまで錆びる機械はないぞ。
汚れすぎ(ってか、汚しすぎ。当然意図してそうしたのだろうから。)。
ちなみに、ミゼットがいつ発売されたのか調べてみた。そうしたら丸ハンドルで二人乗りのタイプが発売されたのは昭和34年であった。当時はバーハンドルの一人乗りしか無かったのだ。
原作では正確な年代に関してはぼかしてある。大体30年代の前半から中頃のイメージだから問題は無い。(それにしてもあんなには汚れてないけど)
しかしこの映画では建設中の東京タワーやフラフープで明確に昭和33年と規定しているのだ。だから首をかしげてしまう。

確かにミゼットは汚れたポンコツのイメージが強い。しかし、よく考えればそれは後の時代に植えつけられたイメージなのだ。そういえばあの「新型ミゼット」、幼い頃はカッコいいと感じていたのを思い出した。

更に突っ込みは続く。この映画、時代が特定されているように、ある程度土地勘があれば場所もかなり特定できる。東京タワーの左に山が見えるから東京タワーの南側。
私はそれほど土地勘も無いので田町か芝浦あたりかと思ったが、「ショウちゃんのエーガな日常」というブログで地元の方が三田と推測されている。なるほど。まあ、田町駅の前はすぐ三田だから私の推測も大きく外れたわけではない。

それはいい。でも三田から高円寺まで、都電を乗り継いで子供だけで行けるか?
ショウちゃんさんも指摘されるように

>あのころ、あの辺りで育った子供にとって渋谷駅を越えるのは、ほとんど外国に行くほど大変たったと思います。

ただし、ショウちゃんさんはこれを大冒険としてリアリティーがあって良いと述べられているが、私は、逆に無理だろー、とか考えてしまったのだった。少なくとも乗り換え路線が分からないだろう。
10秒で済む。車掌に
「高円寺に行くにはどこで乗り換えたらいいんですか。」
「え!?、君たち高円寺まで行くの?」
なんて聞くシーンがあれば納得したかもしれない。

もう一つ、私は当時の都電なんて殆ど知らないからあまり自信が無いのだけれど、私の覚えている横浜市電の最も安かった運賃は大人10円、子供5円である。
子供たちが手にしていたのは15円。それなら往復できるだろ、と疑問をもってしまったのだ。

当時の都電の運賃をネットで調べたけれど、明確な答えが見付からなかったが昭和31年頃、13円?という情報があった。とすれば子供は7円。
一応書いておくと、当時は都内なら何処まで行っても、何度乗り換えても料金は同じ。
一度降りて別の路線に乗り換えるとき、目的地は自己申告という今では信じられない、おおらかなシステムだった。


っと、まあ、いろいろ突っ込んだのだけれど、
テレビや冷蔵庫が来たエピソードなと、少々カタログ的な感が無いでもないが、全体としては細部にこだわって非常によく昭和を再現している。
よく再現しているがゆえに、以上のような実感と微妙にずれる部分がリアルな風景と相まって妙な現実感を生む。
この妙な現実感が、昭和に作られた昭和の映画ではないのにリアルな昭和の風景という、更に理解できない「新しさ」として感じられるのだった。

新しい映画だから(つまり新作だから)「新しい」のは当然なんだけど、この「新しさ」が、少しだけ居心地が悪いと感じたのだった。


それにしても後半、ちょっと泣かせ過ぎで逆効果じゃないかい?
泣かせるのは中盤にちょっと、終盤にしんみりってのが一番余韻が残るような気がするんだけど。

06/01/12
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