ゴジラの味噌汁

かげろう(!日記)
'!' は論理演算子 Not です。
「日記にあらず」と読んでください。

04年  07月 某日

■  よるが恐い
というわけで日記リサイクル計画の第一弾。

「よるが恐い」はたぶん私が初めて読んだ楠作品である。
”たぶん”というのは発表時、読んだはずなのだけれど流してしまい、かなり後になって楠作品として意識したからである。初めて楠勝平の名を覚えたのはもう少し後の「ふじが咲いた」という作品である。

なぜ読み流してしまったのかを考えてみると、先ず当時私が中学生だったということ。当然ながら初老の婦人を主人公にした作品など中学生に理解できようはずがない。
次にラストの3ページにわたるイメージショット。これは楠勝平としては異例の手法だが、当時のCOMではありがちだった。初めてCOMに描いた作品であり発表の場を意識していたのかもしれないが、逆に読む側からしたら軽く見てしまったのだろう。
だからといってこれが軽い作品というわけではない。

この作品が、そして楠勝平がすごいのは作者が20代というところ。
主人公である妻は作者の母親の世代である。作中では息子の安夫は高校生の設定だが10代の子供がいるにしては妻は歳が多すぎる。白髪交じりで和服に割烹着。これって当時としても少し古臭いんじゃないの?。専業主婦は化粧をしないとしても50代後半か60代に見える。
高校生の息子がいるなら常識的に考えてせいぜい40代のはずである。作者が自分の母親か、もしくはその同世代を想定して描いているのは間違いない。普通、子供は社会通念上、親に心配を掛けてはいけないとは考えるが親が子供をどう思っているかなど考えはしない。私が20代のとき、母親の心理など考えたことが有っただろうか。ましてや夫婦の心の機微など知る由も無い。
この作品に限らず楠勝平の作品には親の子に対する気持ちを織り込んだ作品も多い。「参加」や「臨時ニュース」などである。(逆に子供の親に対すも気持ちを織り込んだ作品も多いが)
楠は話を作るに当たってフィクションという事にこだわっていたという。話を作るに当たって登場人物の心理を考え、その行動を考えるのは作劇術の基本である。しかし自分と同じ世代や自分が通り過ぎてきた世代の心理を類推するのはできても自分より上の世代の心理を類推するのは難しい。オッサンが若い作者の作品を見て薄っぺらに感じるのはそのせいだが、いま、楠が生きた年を遥かに越えた私がこの作品に感動してしまうのは、楠の感性がきわめて鋭いことの証左である。

しかしフィクションにこたわればこだわるほど作者の内面が表に出て来るのは不思議なことであり、それが楠作品の魅力でもある。
病弱な楠がこれほど親の世代の心理を表現できたのはそれだけ親のことを身にしみて理解していたからではないだろうか。親に限らず家族に対する心配りは楠作品に随所に登場する。その優しさが楠作品の最大の魅力である。

04/07/02
感想文とか

■ コメント


みみ  09/02/05 23:05

なるほど、それにしてもわずか30年の人生で、ずいぶん多くの作品を作った方ですね。


新しいコメントを書き込むときは下のボタンをクリックすると
投稿用フォームが別ウィンドウで開きます。