ゴジラの味噌汁

かげろう(!日記)
'!' は論理演算子 Not です。
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04年  08月 某日

■  新タイプのCP対称性の破れが
CP対称性の破れが予想値を超えた...らしい。

アサヒサイエンス:http://www.asahi.com/science/update/0820/001.html
KEK・プレス リリース:http://www.kek.jp/ja/news/press/2004/Bellepress5.html

エネルギーが物質になるとき( e=mc2 ってアレだ)物質と、電気的特性が逆の反物質がペアで生成される。(例えばマイナスの電荷をもつ電子に対してプラスの電荷をもつ反電子とか。)
はじめ、この物質と反物質は電気的特性以外は全く同じ性質を持つと考えられた(これをCP対称性という)が、それなら何故我々の宇宙には物質が存在するのか。生成された反物質は物質と結びついてすぐにエネルギーに戻ってしまうからだ。つまり対生成されて対消滅するからプラス・マイナスゼロになるはず。
そこで 1 1=2 にする為に我々が子供の頃には、どこかに反物質で出来た宇宙があって反物質で出来た地球があって...なんて事が想像されたけど、この魅力的な考えは残念ながら物質と反物質が消滅するのは完全に同じではないことが理論的に証明された(小林・益川理論)ため、否定された。つまり今ある物質は対消滅のバランスが崩れている結果の残り物なんである。

で、このB中間子と反B中間子の崩壊を比較観測するというのはその理論の検証実験でもあった訳だけど、CP対称性の破れは証明できたが、正確に測定したら上記の理論値を上わまわってしまった、という事だ。
理論値どうりだったらノーベル賞間違いなしだったんだが、ちとビミョーだなぁ。
もっとも新しい理論を構築するにしてもこの小林・益川理論が下敷きになる訳だろうから日本人としては期待しちゃうけどな。
いや、この観測結果そのものがノーベル賞物かも。(わくわく)


ついでに標準理論に付いてもちょっと補足しておくと
宇宙を構成している力には4っの力がある(7っの力じゃないよ)。
重力、電磁気力、強い力(核力)と弱い力、である。このうち強い力と弱い力ってのは原子レベルで働く力なので実感はないが。
でも世の中にはもっといろいろな力があるじゃないか、火力とか水力とか風力とか、筋力とか持久力とか。しかしこれらは全部この4っの力の変形、応用なのだ。
さらにこの力はビッグバン初期の物質や光も生まれていない超高エネルギー状態では一つのものだったのが、相転移して4っに分かれたのではないか、という考えから、これらの根源を統一的に説明しようという試みがなされている。
そして電磁気力と弱い力が本来同じ物であると証明したのが統一理論と呼ばれる。
さらに強い力を統合した物を大統一論と呼ぶが、これはまだ完成していない。
現在、強い力を説明するのは量子色力学(いや、べつに量子に色が付いてる訳じゃなくて、3種類のクォークの組み合わせを考えるとき色の三原色に例えると解り易いってだけのネーミング)で、これと先の統一理論を合わせて標準理論と呼んでいる。重力に至っては重力波の観測すら出来ていない状態だからまるで解らない、という所。


反宇宙の話が出たんでもう一つ与太話を。

反物質で出来たもう一つの宇宙は否定されたけど、最近の量子力学では多世界解釈というのがまじめに議論されているらしい。(”らしい”ばかりだな。まあ素人の言うことだから上の文も含めて眉に唾を付けて読んで下さい。)
素粒子はある広さを持った空間に確率的にしか存在しないのだが、実際に観測すると、特定の場所に存在することが判る。つまり不確定性原理で何処にあるか理論的に確定できないはずの物が、観測すると確率的に分布する中の一点に粒子として存在する。それでは存在するはずの他の確率は何処へ行ってしまったのか。
現在の量子力学ではこれを波動関数の収束といって、在るがままに受け入れているが、アインシュタインをして「神はサイを振らない」と言わしめたほど奇妙な現象なのだ。
つまり我々は現実には神の振ったサイコロの目の上に住んでいる訳だけれど、じつは素粒子が別の場所で観測された別の世界があって、そこには少しだけ違った自分がいる(かもしれない)という解釈である。サイコロの目の数だけ世界が在るなら神がサイコロを振ったことにはならない。

同じ時間、同じ場所に多数の世界が共存するためには4っの次元だけではなく人間に感知できない第5、第6の別の次元を仮定しないとならないので今のところ検証はできないが数学的には矛盾しない(らしい)ので否定もできない。だから理論じゃなくて解釈なのだろうけどSF的には反宇宙以上に魅力的な考え方である。
往来はできないけど、自分がどんどん分岐して別の世界で少しずつ別の人生を送っているかもしれない。しかもこれはSFじゃなくて現実にありうると考えるのはとても楽しい。

04/08/22
科学・技術

■ コメント


ごじら  04/08/25 23:08

こんばんわ。

人生の分岐ごとにパラレルワールドが展開していく、というストーリィのSFが、昔ありましたね。眉村卓の短編で、「ぬばたまの」という奴です。地下へ下りるジェットコースターの中で、選択されなかった道を選んだ主人公が我に返るとこは、そのあとで竹宮恵子の「地球へ」の成人検査のシーンを見たときに、なんとなく似てるかも、と思いました。


秋津  04/08/29 01:02

ヒャ、三日も気が付かないで申し訳ないです。

で、小説に関しては絶対的な読書量が少ない上にごく一部の好きな作家しか読まないんで眉村卓もあまり(いや、ほとんど)読んでなくて「ぬばたまの」もタイトルは聞いたことがあるかな...って程度なんです。
でもパラレルワールドものはSFの定番ですよねぇ。人生をやり直したいとか別の選択をしたら、とかは万人の願望なんでしょうね。


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