電源は入るのだが何も写らない。揺らしたり叩いたりするといきなりパッと写るんだけど2-3分すると急に画面が暗くなってまた写らなくなる。
これじゃあ仕事に支障が出る、ってんで急遽購入することにした。
で、このモニターの繋がってるパソコンはシャープ製のX68000 Compact XVIという基本設計が20年近く前の骨董品なんである(実はこれ、2台目のX68だったりする)。当然ウィンドウズなんて影も形も無い時代だから画面の解像度は最大でも768*512ドットしか表示できない。液晶モニターも繋げるけど解像度を落とすとボケるのが判ったのでこれはもうCRTのままにするしかないでしょ。それにスペースの関係もあるから今までと同じ15インチにする。そんなわけで近所の量販店に行って唖然。
CRTディスプレイが無い!
液晶モニターばかりなのである。
えぇーーーー、ついこの前まで15インチモニターなんて投売りしてたじゃないか。
...うーん、投売りしたから無くなったのか。6月にモニターを買ったときは初めから液晶にしようと決めていたからCRTが無いのも気が付かなかったんだ。
しかたがないのでもう少し足を伸ばしてパソコン専門の量販店に行ったがやっぱり無い。取り寄せに2−3日かかるという。だけど仕事で毎日使ってるんで出来ればすぐに欲しいのでもう一軒回ってみることにする。そこに無ければ待つしかないと思ってダメ元で行ったのだが、3軒目でやっと有った、1機種だけ。
税込み1万と800円。確かに安い。
安い商品を売って同じ利益を出すなら沢山売らなくちゃならないけど少しばかり安いからって今更CRTを買おうって人はあまりいないんだろうな。私だって上記の理由が無ければ液晶を買っただろう。安くて売れない上に保管場所は液晶の倍以上食う。売る側からすれば在庫したくないのは当然だわな。
もう、そういう時代なのだ。
で、今回は何とか乗り切ったが、次は本体かハードディスクか。
そろそろ真剣に今後の対応を考えなくちゃならない時期が迫ってきたなぁ。
行きはやってたんだよ、シートベルト。で、炎天下での仕事が終わって、さあ、やっと帰れるってんでほっとして忘れちゃうんだよね。思い出しても渋滞してるからまあいいや、動き出したらやろう、なんてね。
んでもって、取り締まる方も心得てて、そういう時間帯を狙ってるんでしょうな。それに真昼間の暑いときは自分達も辛いだろうし。(雨の日や死にそうに暑い中で取り締まってるのを見たこと無いぞ。)
ルールを守らなかった私が悪うございました。言い訳しても始まらないから無言で免許証だけ差し出す。警官も事務的に切符を切っておしまい。腹が立つからそのままシートベルトをしないで立ち去っても何も言わない。ノルマだけこなせばいいんだろう。もう切符は切っちゃったんだからさ。
シートベルトでは2−3年に1回は必ず御用になってるので「ゴールド免許」なんて縁が無い。他の違反では幸い捕まってないけど。
こういう警察の方々の地道な教育でアホなドライバーも少しずつお利口になっていくんだなぁ。ただ私のようなものぐさは性格から直さなくちゃならないから費用対効果が問題かもしれない。そんな奴は運転するなといわれればそれまでだけど。
さて、今年は本州の日本海側に被害が集中している。この数年、梅雨末期の集中豪雨は九州に集中していて、本州で甚大な被害が出るのは久しぶりのような気がするのだが、これでまたダム建設派の建設族の声が大きくなるのだろうか。
改革とか称しながら日本の箱物行政はちっとも改まっていないじゃないか。
勿論ダムが要らない、などと言うつもりは無いが建設は必要最小限にして運用面の強化にシフトして欲しい物である。
昭和30-40年代に作られたダムは軒並み堆積物が溜まって保水量は半分くらいになってるんじゃないだろうか。”だから新しいダムを作る”じゃなくて浚渫して長く使えばいい。
保水力を高めるなら放棄された杉林を照葉樹に植え替えていくのも手だろう。
洪水対策と称して河川の改修ばかりしてるのもなんだかなぁ。自然を回復させるなら護岸工事ばかりしてないでもっと河川敷を広くすればいいと思うのだが。ただしそれには都市計画の見直しも必要になるだろうし、住民の移転も必要だろうけど。
全国のダムの浚渫や樹木の植え替えには物凄いカネがかかる。公共事業としてはかなりのばら撒きになるから地元も潤うと思うんだが何故かそうはしない。きっと儲かるところが違うから既得権益を手放したくないんだろうな。
日本の産業はハードは強いけどソフト面は弱いと云われてきたが、政治も一緒なんだよな。
その辺を変えるのが改革なんじゃないかえ。>掛け声ばかりの総理。
でも早朝のタイミングを逃すともう羽化は出来ないだろう。日にさらされて殻が硬くなってしまったのだ。
生きているのに古い自分の殻の中でもがいている。やがてその中で死んでいくのだろう。
何とも象徴的で哀れだ。
ってことで、茨城まで行って参りました。
13日の深夜(ていうか14日の早朝)に出発したのだが真夜中に着いても仕方が無いし、お金も無いから高速道路を使わずに一般道だけで行ってみた。高速を使えばウチから2時間半ほどだが今回は4時間くらい掛かったが深夜なので都内も水戸街道も渋滞はないのでほとんどストレスはない。これなら次回から一般道でもいいかな。
着いたのは5時前で、もうすっかり明るくなっていたが鬱蒼とした林道はまだライト無しでは走れない。その林道も枝道になると張り出した草や木の枝を車のボディに擦りながら進んでいく。塗装の傷を気にするような人は入れない、そんなところなのだ。
それでも恵まれているのは荷物を置きっぱなしにできること。いたずらされると困るから一応シートを被せてあるが地元の人も滅多に入ってこないからキャンプ用品は置きっぱなしなので着替えと食料だけもって来れば済む。
到着草々ポリタンクを取り出し水を汲んでくる。次にタープを張る。一人で張るのは初めてだったので多少の不安はあったが案外一人でも簡単に張れるものなのだな。これでテーブルやらベッドやらをセットして落ち着く。
さすがに最近、徹夜は辛い。一杯やって途中で仕入れた弁当を食べたら寝てしまって、起きたのは午後。まあ今回はひとりでのんびりするつもりだから夜まで寝てもよかったんだけど、山の中の夜は思いっ切り長いからその前に少しは動いておかないとね。
またまた一杯やりながらそこいらを歩き回って笹や蔓を切ったり軽く土方をしたり。そして食事の支度。たいしたものは出来ないがとにかく鍋で飯を炊く。やっぱり数をこなさないと上手くは炊けないけど炊き立てなら結構上手いんだな、これが。
そんな具合で翌15日の午後、そろそろ撤収しようかと思っていた頃いきなりの土砂降り。新潟から福島にかけて大災害を起こした雨の余波というのは家に電話して知った。
去年も雨に降られた中で撤収したことがあったが、今回は一人である。一人でも片付ける量はさして変わらない。しかもあの時はテントは張ってあったがタープは無かった。
濡れたら持ち帰って干さなければならないがタープはテントよりかなりでかい。さて、どうしたモンかと様子を見ていたが止みそうに無いのでもう一日泊まることにした。夜中まで断続的に土砂降っていたが朝方には小降りになり、幸いなことに9時頃には急に晴れてきた。
さて、これには後日談もある。
今日、仕事で出かけたのだが、何も考えずに車を運転していてハッと気が付いたら明後日の方向へ走っていた。
「なぜワタシはここに居るの?」
全然別のお客さんの所へ向かって30分も走っていたのだ。ああ!
三日間誰とも会わなかったせいか、連休ボケか...
というわけで久々に拝見しました、「ラメのスウちゃん」(「いつも春のよう」収録)
私が読んだあすな作品の中でも特に印象深く記憶している作品。
土方の手配士、源ちゃんはドブスで男から相手にされないホステスのスウちゃんに一目惚れ。同棲を始めるが交通事故で失明してしまう。スウちゃんは自暴自棄になる源ちゃんに献身的に尽くすが源ちゃんは階段から落ちて死んでしまう。
スウちゃんが繰り返し歌う「露営の歌」(♪勝ってくるぞと勇ましく...ってやつ。昔の軍歌です。)が実に効果的だ。あすな作品には歌をモチーフにしたり演出として使った作品も多いが、この作品にはポップスでも演歌でもいけない。景気がいい歌詞にどこかもの哀しいメロディーのこの歌じゃなけりゃいけない。暫らくのあいだこの歌が頭から離れそうに無い。
たった24ページの漫画だけれど、ブスとブ男の恋物語なんて誰も読みたくないかもしれない。スウちゃんのたった一度の恋として過去形で語られる物語は、かなり自虐的である。
かわいがってくれた男は父親だけ。愛する源ちゃんは小便まみれで死んでゆくというかっこ悪さ。
自虐的であるがゆえに小さな飲み屋を切り盛りするその後のスウちゃんの後姿はたまらなくいとおしい。スウちゃんはブスだけどとても”可愛い女”なのだ。
で、これって1975年の作品、って事は「青い空...」より前の作品だったんですね。イメージ的には「哀しい人々」が後かと思っていたが、この頃ってあすなひろしが一番ノッてた時期なのだなぁ。
それから30年。スウちゃんは60か70になってる勘定だ。
もし作者が存命なら今のスウちゃんの話を描いて欲しかったけど、かなわぬ願いになってしまった。
で、解説だけじゃなくて感想も書いてみた。文章の使い回しで手抜きをしてみたんである。
それと想定外の書き込み量のせいか、まとめて大量の書き込みを削除したせいか、掲示板のプログラムにバグが出ている。本来入るはずが無い書き込みが過去ログに入ってしまった。先日、アクセス制限をするため一部コードを書き足したけどエンバグはしていないはずだ。
ソースを見直したけど原因がよくわからない。自分で書いていたのに忘却の彼方である。
まあ、書き込みが消えちゃったわけじゃないので様子を見よう。
「よるが恐い」はたぶん私が初めて読んだ楠作品である。
”たぶん”というのは発表時、読んだはずなのだけれど流してしまい、かなり後になって楠作品として意識したからである。初めて楠勝平の名を覚えたのはもう少し後の「ふじが咲いた」という作品である。
なぜ読み流してしまったのかを考えてみると、先ず当時私が中学生だったということ。当然ながら初老の婦人を主人公にした作品など中学生に理解できようはずがない。
次にラストの3ページにわたるイメージショット。これは楠勝平としては異例の手法だが、当時のCOMではありがちだった。初めてCOMに描いた作品であり発表の場を意識していたのかもしれないが、逆に読む側からしたら軽く見てしまったのだろう。
だからといってこれが軽い作品というわけではない。
この作品が、そして楠勝平がすごいのは作者が20代というところ。
主人公である妻は作者の母親の世代である。作中では息子の安夫は高校生の設定だが10代の子供がいるにしては妻は歳が多すぎる。白髪交じりで和服に割烹着。これって当時としても少し古臭いんじゃないの?。専業主婦は化粧をしないとしても50代後半か60代に見える。
高校生の息子がいるなら常識的に考えてせいぜい40代のはずである。作者が自分の母親か、もしくはその同世代を想定して描いているのは間違いない。普通、子供は社会通念上、親に心配を掛けてはいけないとは考えるが親が子供をどう思っているかなど考えはしない。私が20代のとき、母親の心理など考えたことが有っただろうか。ましてや夫婦の心の機微など知る由も無い。
この作品に限らず楠勝平の作品には親の子に対する気持ちを織り込んだ作品も多い。「参加」や「臨時ニュース」などである。(逆に子供の親に対すも気持ちを織り込んだ作品も多いが)
楠は話を作るに当たってフィクションという事にこだわっていたという。話を作るに当たって登場人物の心理を考え、その行動を考えるのは作劇術の基本である。しかし自分と同じ世代や自分が通り過ぎてきた世代の心理を類推するのはできても自分より上の世代の心理を類推するのは難しい。オッサンが若い作者の作品を見て薄っぺらに感じるのはそのせいだが、いま、楠が生きた年を遥かに越えた私がこの作品に感動してしまうのは、楠の感性がきわめて鋭いことの証左である。
しかしフィクションにこたわればこだわるほど作者の内面が表に出て来るのは不思議なことであり、それが楠作品の魅力でもある。
病弱な楠がこれほど親の世代の心理を表現できたのはそれだけ親のことを身にしみて理解していたからではないだろうか。親に限らず家族に対する心配りは楠作品に随所に登場する。その優しさが楠作品の最大の魅力である。
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