ゴジラの味噌汁

かげろう(!日記)
'!' は論理演算子 Not です。
「日記にあらず」と読んでください。

04年  12月 某日

■  ゴジラとスカイキャプテン
いつもの年は年末はなんとなく忙しいので丸一日時間を空けるのが難しくて、忘年会とかも付き合えないんだけど、今年は暇(って言うか売上最低)なんで映画を観て宴会。

「スカイキャプテン」が今週で打ち切りみたいなのでまずこれを観る。上映時間を調べたら朝の11時の回の次は夕方の7時半。昼間は別のプログラムだ。冷遇されてるな。余程入りが悪いのか。夕方は酒宴なわけで、仕方が無いので11時から。でもその後時間が余っちゃうからついでに「ゴジラ・ファイナル・ウォーズ」も。映画の梯子は久しぶり。って言ってもシネコンだから二本立てを見たようなものだけど。

で、飲み会の報告をしてもしょうがないので映画の感想を少々。多少のネタバレもあるので未見の方はご注意ください。

まずは「スカイ キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」
それなりに期待はしてたんだけど期待以上の出来だった。
映画にCGを持ち込むのはどちらかと言えば否定的、って言うか食傷気味なのだけど、これはCGの中に人間をはめ込んだようなもの。
アニメ版「メトロポリス」を彷彿とさせるオープニングのニューヨークの描写。ヒンデンブルグ飛行船やカーチスP40といった実在のメカと、リベットだらけのブリキ細工の様なロボット。飛行空母や流線型の巨大ロケット等々、レトロなデザインのメカと、紗を掛けたようなソフトフォーカスの画質があいまって全編に独特な雰囲気が漂うので、アニメと実写を組み合わせた感覚に近くて、違和感がありすぎるから気にならないという逆説的な結果になった。ただしこれが成功したからって同じようなものばかり作られると困るんだけど。

お話の方は地球殲滅を企むマッドサイエンティストを探す女性記者と、元恋人のスーパーヒーロー、スカイキャプテン。そこに二人が別れる原因になった英軍の女性将校がちょっと絡んで...ってな、ありがちな話なのでどうでもい。
そんなのあるわきゃないぜ、って言うアホらしさを楽しめるか否かで評価が決まる。もう私など最後までニヤニヤしっぱなし。
主人公の登場するシーンでは「スカイキャプテン!スカイキャプテン!」と呼びかける無線の電波が同心円になって広がる。P40(改)が潜水艇になるシーンなど思わず手をたたいて大笑いしてしまった。それでもプロペラのブレードは抵抗を減らすためスピンナーに格納される芸の細かさ。こういうセンスが日本のSFにも欲しいなぁ。(今作っている黒鮫号など奇抜ですごくカッコいいデザインなのに細部を見るとインテイクの前面がたいらにカットしてあるとか、尾翼がただの板切れ(断面がたいら)だったりと、容認できない流体力学的な手抜きがいっぱいある。勝手に直したけど。)
ありがちな話とはいえシナリオはよく練ってある。主人公が元フライング・タイガース(日中戦争初期、空軍力を持たない蒋介石軍を支援した(建前上)民間のアメリカの義勇軍)のパイロットだったという設定などヒコーキ好きの心をくすぐるし、アンジェリーナ・ジョリーが登場するまでの伏線の張り方、ヒロインの性格描写など、まったくそつが無い。特にラストシーンは何度も伏線を張っておいて最後の一言でストンと落としちゃう手際のよさ。これは「面白い」を通り越して脱帽!

ちょっと苦言を呈するならアップが大アップ過ぎること。この監督、初監督作品だそうだがテレビ出身の人なんだろうか。スクリーンで見るには顔が近すぎて少々圧迫感がある。ここまで寄らなくてもいいんでないの?
まぁ、かなりマニアックな映画だからDVDのことも考えてるのかもしれない。テレビ画面だとソフトフォーカスの効果は減るけど細部がよく見えないというストレスも減りそうだ。
それと、これはエンドロールにも一枚看板で出てるから書いてもいいと思うんだけど、マッドサイエンティストを演じてる(?)のは10年以上前に亡くなった名優、ローレンス・オリビエなのだ。(細かくは書かないけど生身で登場するわけじゃない)
これって往年のファンには売りになるんじゃないのかなぁ。宣伝、下手だぞ。

続いて「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」を見る。
いきなり「TOHO SCOPE」のタイトル。そして新たにミニチュアを作ったと思しき”旧”海底軍艦「轟天号」!
おお!かっこいい! これだけでも金を出して見る価値はあった。ただしマンダがCGなのと艦長が中尾彬ってのはちょっとなぁ。
ネットでは賛否分かれている「ゴジラ」だけどどんなモンか、多少の不安を持って見た。話が進んでいくうちにムフフな所がいろいろ出てきて楽しい。何の説明も無く唐突に小美人が出てきたり佐原健二の役名が神宮寺”博士”だったり、水野久美が波川”指令”だったり。ちなみに私の携帯の待ち受け画面はこれ。わはは。
そんなくすぐりは別にしても結構面白い。
こちらもお話はどうでもいい。シナリオに関してはいまいち練れてないけどテンポ良く進んでいくんで気にならない。X星人役のいっこく堂サンの怪演もスバラシイ(←違うって、別人だよ!)。ミニラのぬいぐるみはともかく、富士の裾野に住むマタギ役の泉谷しげるなんか最高!衣装なんか、これだけでアカデミー賞をやってもいい。

で、クライマックスが近づくにつれて...「あれれ、ゴジラはどうしちゃったの?」

この監督、よほど格闘技がお好きなようで(新)轟天号の艦長はじめ、何人もの格闘家が出演している(らしい。私はそっちの方は知らないんだけど)。んだもんで「マトリクス」ばりの格闘シーンがやたら多い。序盤は許せるとしてもクライマックスで人間の格闘なんて見たくはない。怪獣を見に来てるんだからさ。格闘技好きな人なら面白いのかと思ったけど一緒に見た格闘技好きの友人(彼は10回戦までやった元ボクサーでもあるから筋金入りである。ただし私より怪獣好きでもあるのだが)も呆れていたのだから何をかいわんや。
思い出したようにキングギドラとの決戦を征してエンディングへ。

うーん、だけどこの終わり方、昭和のガメラじゃないの?お子様もちょっと引いちゃいそう。
「スカイキャプテン」の鮮やかなラストを見た後ではちと辛い。
なるほど、賛否分かれる理由がわかった。前半は面白いのだけれど後半は違うところに行っちゃう。格闘シーンを中心にあと20分カットしたらすっきりしそうなんだけどな。惜しい。


うう、それにしても2本立てはキツイ。昔は一日で8本見たなんてこともあったのだけど。

04年  11月 某日

■  だいぶ雰囲気
予告編に写ってる試作品に砲塔やアンテナを付けたらかっこよくなってきたので大きめの写真をアップ。少しは悪役潜水艦の凄みも感じられるかな?

ただしこれ、現物あわせなので展開図はこれから。旋回砲塔はあと一割くらい大きくてもいいかも。
そしてもう少し大きい写真がこちら。(Jpeg:57KB)
17インチモニターで1152*864ドットの解像度で見るとほぼ原寸ってところ。

後は艦橋横のセンサーのようなミサイルのような何だかよく解らない筒状の部品と、主翼付け根の砲身を付ける。それから艦橋上部前面の小さな砲塔はテクスチュアでお茶を濁すとして、一番問題なのは艦橋開口部内。
なにか砲身のようなものが在るのだけれど、どうなってるのか解らない。これは適当にやるしかないわな。

だけどこんな写真出したら誰も作ってくれないかも。それとも「やったるで!」と意欲を燃やす人もいるのかなぁ。
どうしよう。どちらにしても敷居が高いのは問題だ。改造部品として別立てで用意するっていう手もあるけど...。

04年  11月 某日

■  カマ掘られた?
仕事で立川まで行った帰り。
府中街道と甲州街道の交差点を過ぎたあたりで信号待ちをしていた。この道、渋滞すると滅茶苦茶時間が掛かるんだけど(特に競馬の日は最悪)今日は順調でラッキー、なにんて思ってたらいきなりカガン!というショック。一瞬何があったのか理解できなかったのだが、後ろの車が追突してきたのだ。

相手の男は「すいません、保険で賠償しますから」なんて言ってるけど私が乗っていたのは2トントラック。しかも建機の載せ降ろしをするためのブリッジを掛けられるように荷台の後部を補強してある。相手はライトバン。ボンネットが荷台の下に食い込んで、くの字に曲がっているがこちらは塗装に傷が付いただけ。

交通事故は双方なんらかの責任があって、どちらが何パーセントなんて事でもめたりするわけだが、追突の場合だけはぶつけられた方には何の責任も無いし実害も無いんでまあいいか、と立ち去ろうとも思ったけど、保険が必要なのは相手のほうじゃないか。
以前にも首都高の渋滞の中でゴツンとやられたことがあったけど、その時は相手もウインカーのレンズが割れた程度だったので問題にしなかったのだが、事故証明がないと保険は降りないから面倒だけど付き合ってやった。警察に連絡しても人身事故じゃないから若い警官が一人、自転車で来ただけ。夕方で忙しかったのか、交通課でもないらしくて、やたら手際が悪い。早く帰りたいのに50分もロスしちまったい。

それにしても相手のおっさん、何をポケっとしてたんだろうな。
赤信号で止まっててなんでいきなり発進するんだよ。
マニアル車だとギャを抜かずに止まっててクラッチを踏んでる足が緩んで急発進、なんて事も有り得るけど、オートマだろ。
品川の会社の営業らしいけど疲れてたのかなぁ。魔がさしたってやつか。私も疲れてると漫然と運転してることもあるよなぁ。
こんな程度で済んだからいいけど気を付けないと。今回は被害者の立場だけど次は加害者になってしまうかも知れない。他山の石であるよ。

04/11/04
雑記|| コメント: 0

04年  10月 某日

■  予告編 - その2
というわけで5ヶ月ぶりに黒鮫の中間報告。いやー、よくサボったもんだ。
いや、たまにはコツコツとやってはいたんだけど予告編でも書いたように目に見えない様な地道な作業で何の変化もなかったんである。


そんな中で唯一目に見える違いはこの辺。

前回の写真と比較すると大分スッキリしたのが分かる。勿論これだけに5ヶ月掛けた訳ではないけど。

とりあえず展開図をそのまま組み立てれば同じものができるようにはなったので(ホントか?)報告して次のステップへ。
いやー、まだ手直ししたいところは幾らでもあるけど先へ進まないと何時完成するか判らない。

次は火器類を作るのだが、このザクかズコックの頭みたいなのがレーザー砲塔。2倍のサイズで試作したのだけど、メチャ複雑な形なんで半分のサイズで作る自信が無い。自分が作れないものをひとに作って下さいというのも無責任だから、構造を再検討して簡略化しなければ。

雰囲気を残しつつ単純な形にするって難しい。

04年  10月 某日

■  モノリス
ペーパークラフトにモノリスを追加。

昨日の朝、シコシコと黒鮫号を作りながら考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
なんでこんな面倒な物を作ってるんだろう。世のペーパークラフトサイトには四角い箱を組み合わせただけの単純な作品を発表して、それなりの人気サイトもあるよなぁ。でも単純なほどデザインセンスが重要になるから、とても真似できないよなぁ。

...で、四角い箱で思い付いた。なんでモノリスのペーパークラフトが無いんだろう。単純すぎるからか?それなら、ひとひねり加えれば面白いんじゃないか。そこで昔、友人が描いた落書きを思い出した。サルを加えれば笑える。絵で面白いのだからペーパークラフトならもっと面白いかも。
そんなことやってる場合じゃないのは百も承知なのだが思いついたら作りたくて作りたくて我慢できない。昨日のうちに完成。今日、ファイルをひとに見せられるように整えてページを追加した。

というわけで手抜きいっぱい。一発ギャグの作品ですが、お楽しみください。

04年  10月 某日

■  雑記、少々
私の場合、元々通販で何かを買うという習慣が無かったためネットでも買い物って滅多にしないのだが、楠勝平作品の掲載されたガロの古本を5冊ほど購入。未読の「蛸」や「赤水」の後編、「毒」の再録された号など。これでガロに掲載された作品は単行本と合わせれば「仙丸」以外ほぼ読んだことになる。
今まで、ネットの古本屋さんを個別に探したりヤフーを探したりしても無かったのだが、楽天を探したら大量に見つかった。有る所には有るんですね。っていうか楽天って古書に強いのだな。知らなかった。
貸し本の「忍法秘話」もかなり充実してたけど、こっちは値段が...。これはまとめ買いは無理だ。懐に余裕があるときに少しずつ集めるしかないのがちょっと哀しい。♪みんな銭ずらよー。

先月の末から急にアクセスが増えて、1日1000ヒットなどというウチとしては異様な状態だったが、カウンターが10万を超えるのと機を同じくして急に平常に戻った。とあるネタニュース系のサイトでザルドスとガラモンが紹介されたのがきっかけで連鎖的にあちこちで紹介して頂いたらしい。リンク元を調べたら確認できたものだけでも30以上のサイトでリンクして頂いたようだ。ただ、これ、殆どがニュースや日記のブログなので流れるのも早い。一週間だけ人気サイトの気分。

それから黒鮫号。予告編だけ出して放置状態なんで遂に「早よせいや、ワレー(要旨)」というメールを頂戴してしまった。スミマセン。でも少しずつですが進んではいます。(あ、いや、7-8月は放置してました。汗)
ノズル類の曲線がなかなか気に入らなくて。寸法はだいぶ決まってきたんだけど、少しラインを変えると、また合わせ直しの繰り返しのジミーな作業なので報告することが無いのだが、結構いい線までは来てるのでもう暫らくしたら経過報告します。もっとも写真じゃ違いは殆ど判らないかも。

それはいいんだけど、今度はプリンターが不調。プリントする度に発色が微妙に、いや明らかに違うのだ。これは参ったぞ。今は試作段階なんで多少色が違っても問題ないけど、まとめるとパッチワークみたいなペーパークラフトになる。ヘッドギャップの調整をしたら幾らか良くなったけど完全には直らない。モニターを2台交換したばかりなのに(T_T)
何故か電気製品ってまとめて寿命がくるんだよなぁ。もう少し頑張れ、プリンター。

04/10/07
雑記|| コメント: 0

04年  10月 某日

■  牛腸茂雄という写真家がいた

「牛腸茂雄展 − 自己と他者 − 」を観に三鷹まで。中央線に乗るのは、うーん、20年ぶりくらい。

写真は門外漢で、写真家と呼ばれる人の名前などほとんど知らない私だが、雨の中、わざわざ出張って行ったのは牛腸さんとは生前少しだけ面識が有ったのと、その頃拝見した作品がとても素晴らしく、深く心に残る写真だったから。
実は昨年、国立近代美術館でも作品展があったのだが気が付くのが遅くて行きそびれてしまったので今回は万難を排しても行きたかったのだ。それと佐藤真監督の記録映画「SELF AND OTHERS」のフィルム上映が今日までだったし。(ビデオでの上映は期間中ずっとやってるんだけど、やっぱりフィルムで見たかったので。)

面識があったと書いたけれど実際は氏のことは何も知らないに等しい。身体的ハンディがあることは一目でわかるけど、どんな病気だったのかも知らなかったし(まさかご本人に聞く訳にいかない。)考えてみれば「茂雄」というお名前も知らなかったのだ。風の噂で亡くなったと聞いたときも「やっぱり具合が悪かったんだね。」と話しあったほどで、今回、その辺の経緯や経歴もよく分かった。(「三鷹市美術ギャラリー」参照。あっ、来月は山形でもやるのか。こちらのページのほうが解りやすい。)

その経歴や写真界での評価を知ると、楠勝平とよく似ていることに感銘をうけた。
3歳で胸椎カリエスという病気になり一年間も石膏のベッドに縛り付けられた生活ってのはどんなものだったのだろう。その後遺症で身長は子供と変わらない位しかなかった。そして36歳で亡くなっている。私が知っていた牛腸さんは30歳前後だったのだろう。2冊目の写真集「SELF AND OTHERS」の為の作品を取りためていた頃だろうか。当時は氏の作品に対する評価も知らなかったし、ただの写真家を目指す気さくな、そしてユニークなオッサン(失礼。でも私より10歳も年上なので)としか認識していなかった。
写真集を出版されたことも知らなかったし、ましてやその後の評価も知る由も無かった。
作品を見せて頂いたときも「とても金になる写真じゃない」と思った(つまりこれで生活するのは難しいということ)。ただしその静謐で時間を凝縮したような表現は深く心に染み入る暖かさを持っていて、一見ただの記念写真のようでいて絶対ほかの人に撮れる写真ではなかった。
今回は、残された3冊の写真集に収められた写真のほか、学生時代の作品や写真以外の作品も展示する、氏の生涯を全貌した企画。ただ、ここまでやるならピンホールカメラで撮影された作品が展示されていなかったのは少々残念。残されていないのだろうか。

今回の作品展で、当時拝見した写真の何枚かに再会した。特に写真の中によく見知った顔、見知った場所を発見したときには何とも言えない感慨がある。(←そういう観かたをされるのは不本意だろうが)
会場は二箇所に別れていて、第一会場は「三鷹市美術ギャラリー」。三鷹駅の真正面、「コラル」というビルの5階。日曜というのもあるのだろうが雨が降っているのに結構入場者は多かった。特に若い人の姿が多かったのが心強い。彼等は私のように懐かしがって見たりしないからきっと牛腸茂雄の本質に触れられるだろう。
ここでは学生時代の作品や最初の写真集「日々」、二番目の作品集「SELF AND OTHERS」に収録された作品を展示。すべてモノクロ。

氏の写真の多くは人物を真正面から捉えている。人物はまっすぐカメラを見据えている。そしてローアングルと大きく切り取られた頭上の空間。
これらは素人が撮る記念写真の要素でもあるが、もちろん素人の写真とは絶対的に異なる。
上に表示した「セルフポートレート」を例に解説を試みてみたい。ただし、当然ながら私も素人なのであまり信用しないように。
まず気が付くのはローアングルじゃないって所。これだけは牛腸氏の狙いだから他の作品と違う。つまり健常者の目線から見た自分を撮りたかったのだろう。
そして、もし写真なんか撮ったことが無いって人が撮ったらほぼ同じ構図になるだろう。だから誰にでも撮れそうな写真に見えるのだが、素人だと、より人物の「顔」を中心にと考えてもう少し左にカメラを振るかも知れない。これは最悪のケース。左の壁だけが増える。露出は当然自動だから窓の外の明るさに反応して部屋の中は真っ暗になるはず。
これが少し写真とか構図とか聞きかじったらどうするか。例えば私なら (^^;)
常識では上の壁は必要ないのでカットして全身を入れる。
後ろの額が唐突な印象を与えるので(それも狙いだと思う。実はこのインクプロットも牛腸さんの作品だったのは今回初めて知った)立ち位置を調整する。
更に目線を合わせる為にカメラ位置を下げるかもしれない。
これだけ明るさの違いが有ると窓の外の景色は飛んでしまうので、どうせなら部屋の明るさに合わせて半絞りあける。
その辺が普通によくできたポートレートだろう。これが素人の(私の?)限界。
これを超えたところから作家性が始まる。

直線的に切り取られた室内。そこにポツンと小さく写ったご本人。微妙な暗さと明るさ。そして牛腸さんがこの場所を選んだのは幾何学的なビルの室内と外の古い街の景色が同時に収まるからだろう。窓の外は蔽い焼きしているのか尋ねなかったのが今更悔やまれる。 
この写真には普段の努めて明るく振舞っていた(ように私には見えた、かと言って暗い印象ではないのだが)、あるいは人付き合いが苦手で多少無理をしていたのかもしれない牛腸さんの姿からしたら少々気取った雰囲気が伺えるのは事実である。でも、誰でも自分自身の写真を撮る時、多少気取ってしまうのは当然である。その気取りの外側に自分の本質を表現できるか否かである。氏、御自身は自分を理解していた。そして他人が氏をどのように見ているかも(多少のコンプレックスを含めて)よく理解していたからこんな素晴らしい写真が撮れたのだと思う。

写真は時間を切り取ると言われるが、被写体である人物とカメラが正面から対峙することで剣豪同士の対決のような緊張感が時間を止める。
ローアングルといっても小津安二郎や加藤泰のそれとは意味合いがまったく異なる。映画の場合は観客席からスクリーンを見上げる為に目線の低さが生きてくるのだが、氏の場合、常に他者を見上げていたことから必然的に生まれた構図だろう。低い目線は子供を捉えるには特に効果が大きい。
頭の上を大きく空けるのは素人に在りがちな構図だが、これは顔を画面の中心に据えてしまうための稚拙な写真。しかし氏の写真はあえて頭上を大きく開けることによって世界の広がりと長い時間を写真の上に定着させている。


第二会場は15分ほど歩いた所にある「三鷹市芸術文化センター」。
こちらでは映画「SELF AND OTHERS」の上映と三冊目の写真集「見慣れた街の中で」に収録されたカラー作品、死の直前に写真雑誌に発表された子供の写真数点の他、写真以外の作品も展示されている。

これは私の全然知らなかった牛腸さん。華やかな街を写したカラー写真はブレボケ、ノーファインダーといった手法も取り入れ、街の喧騒が聞こえてきそうなアクティブな写真群。しかしその中にポツリと混ざる静止した時間を写した作品が一層の効果をあげる。これらのカラー写真や水にカラーインクを垂らして定着した作品などを見ると氏が素晴らしい色彩感覚をお持ちだったことがうかがえる。
一転子供を撮影した作品は再びモノクロ。これは次の作品集に収められる予定であったそうな。残念である。
全ての作品に共通するのは大きなハンディを持っていたにもかかわらず人間を見る目の優しさ。決して斜に構えることなく対象と向き合い包み込むような暖かさを持っている。

そして16ミリで撮影された佐藤真監督による、第二作品集と同じタイトルの記録映画。本項のタイトルはこの映画の冒頭のキャプションである。その中に残念ながら氏の動く映像はない。遺品やらスタッフとして参加した映画、そして氏の写真と手紙やノートの朗読でその生涯を綴っていく1時間弱の作品。最後に懐かしい、少しかん高い、けれど記憶より少しだけ覇気の無い氏の肉声が流れる部分では不覚にも目頭が熱くなってしまった。

自分自身と自分以外の人間。他者を見つめ自分を見つめ、その隙間を埋めつつ埋めきれない隙間を確認する作業。それが牛腸氏の生涯のテーマだったのかもしれない。始めはちょっと、とっ付きにくいかと思えるけれど、寒いオヤジギャグを言って自分で笑っているような方だった。そして、ふっと遠くを見るような、寂しいような目をする瞬間がある方だった。孤独なのは氏のほうであったはずなのにこちらが置いて行かれたような思いにさせられる瞬間だった。
「アー、アー。あ・い・う・え・お。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド。この声が人にはどのように聞こえるのだろう?」

改めて牛腸茂雄氏のご冥福を祈りたい。

04年  09月 某日

■  フィッシング キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
シティバンクから英語のメール。「Dear CitiBank customer」
おぃ、おぃ、シティバンクと取引なんてないぞ。

タイトルにはサーバーからスパムの警告。おお、これが巷間噂のフィッシングってやつか。
だけど英語が読めないのでコピーして翻訳サイトにぶち込もうとしたらコピーできない。この文面、全部GIF画像なのだ。こんな画像に著作権もクソもないからここに晒しちゃおう。
ただし CitiBank のロゴはちとまずいから修正しときます。

なぜこんな面倒なことをするかといえば文中のURL。本物のシティーバンクのサイトの中にある本物のURLらしいのだが(もう削除されてるページだけど)、これを、いや画面のどこでも同じなのだが、クリックするとシティーバンクのサイトにそっくりな別のサイトに飛ばされる仕掛け。
...っと、解ってるんだが怖いモノ見たさでクリックしてみた。勿論見るだけ。こちらのIPとかを抜かれるリスクは有るけどそんな情報に興味はないだろう、こういう人たちは。
で、本物と見比べてみた。うーん、まるで同じだ。これじゃぁ知らなければ本物だと思うわな。違うのはURLだけだが、それも http://○○○.citi.○○○ みたいになってる。

肝心の文面。仕方がないのでシコシコと手入力で翻訳。
「最近、シティーバンクの顧客の個人情報を盗もうとする輩が多いので下記で情報を確認してください。これをしないと取引できなくなりますよ。(大意。英語読める人、正確に訳して下さい 。ははは)」
うーん、今回は縁のないシティバンクで英語だったから笑い話で済むけど、これが日本語で、たまたま自分の使っている銀行やカード会社とかだったら騙されちゃう可能性もあるなぁ。

もう少し補足情報を。
今回はURLを偽装するために画像にリンクを張るという手口だが、リンクのURLを偽装するなんていくらでも方法がある。最も簡単な方法は下のリンク。URLを見るとグーグルに行くように見えるけど実際には当サイトのトップページに飛ぶ。ホームページを作っている人ならソースを見れば誰でも解るけど一般の人は騙される可能性が高い。いや、解ってもいちいちソースを確認なんてしないわな、普通。

google : http://www.google.com

結局提示されたリンクから飛ばずに自分のブックマークから行くのが間違いない。念のために飛び先のURLを充分確認するしかない訳だ。
それともう一つ。フィッシングの対策としてイーバンク銀行が導入したパスワードの前半を入力すると事前に登録したパスワードを表示して本物として確認させる方法。これは意味がないらしい。いや、逆にこれで信用しちゃったらヤバイ。

http://www.securityfocus.com/archive/79/376018 ...セキュリティーフォーカス

なるほど。こんなプログラムなら素人の私でも組めそうだ。
この手のメールはよほど注意しないと、とんでもない事になるなぁ。

そこで個人的に一番問題なのはこのメールが仕事用のアドレスに入った事。
サイト用に公開してるアドレスには毎日スパムやらウィルスやら、いやになるほど入ってるのだが、仕事用のアドレスは取引先にしか公開していない。何所から漏れたのだろう。これからガンガン来るのだろうか。ちょっと不安。

04年  08月 某日

■  新タイプのCP対称性の破れが
CP対称性の破れが予想値を超えた...らしい。

アサヒサイエンス:http://www.asahi.com/science/update/0820/001.html
KEK・プレス リリース:http://www.kek.jp/ja/news/press/2004/Bellepress5.html

エネルギーが物質になるとき( e=mc2 ってアレだ)物質と、電気的特性が逆の反物質がペアで生成される。(例えばマイナスの電荷をもつ電子に対してプラスの電荷をもつ反電子とか。)
はじめ、この物質と反物質は電気的特性以外は全く同じ性質を持つと考えられた(これをCP対称性という)が、それなら何故我々の宇宙には物質が存在するのか。生成された反物質は物質と結びついてすぐにエネルギーに戻ってしまうからだ。つまり対生成されて対消滅するからプラス・マイナスゼロになるはず。
そこで 1 1=2 にする為に我々が子供の頃には、どこかに反物質で出来た宇宙があって反物質で出来た地球があって...なんて事が想像されたけど、この魅力的な考えは残念ながら物質と反物質が消滅するのは完全に同じではないことが理論的に証明された(小林・益川理論)ため、否定された。つまり今ある物質は対消滅のバランスが崩れている結果の残り物なんである。

で、このB中間子と反B中間子の崩壊を比較観測するというのはその理論の検証実験でもあった訳だけど、CP対称性の破れは証明できたが、正確に測定したら上記の理論値を上わまわってしまった、という事だ。
理論値どうりだったらノーベル賞間違いなしだったんだが、ちとビミョーだなぁ。
もっとも新しい理論を構築するにしてもこの小林・益川理論が下敷きになる訳だろうから日本人としては期待しちゃうけどな。
いや、この観測結果そのものがノーベル賞物かも。(わくわく)


ついでに標準理論に付いてもちょっと補足しておくと
宇宙を構成している力には4っの力がある(7っの力じゃないよ)。
重力、電磁気力、強い力(核力)と弱い力、である。このうち強い力と弱い力ってのは原子レベルで働く力なので実感はないが。
でも世の中にはもっといろいろな力があるじゃないか、火力とか水力とか風力とか、筋力とか持久力とか。しかしこれらは全部この4っの力の変形、応用なのだ。
さらにこの力はビッグバン初期の物質や光も生まれていない超高エネルギー状態では一つのものだったのが、相転移して4っに分かれたのではないか、という考えから、これらの根源を統一的に説明しようという試みがなされている。
そして電磁気力と弱い力が本来同じ物であると証明したのが統一理論と呼ばれる。
さらに強い力を統合した物を大統一論と呼ぶが、これはまだ完成していない。
現在、強い力を説明するのは量子色力学(いや、べつに量子に色が付いてる訳じゃなくて、3種類のクォークの組み合わせを考えるとき色の三原色に例えると解り易いってだけのネーミング)で、これと先の統一理論を合わせて標準理論と呼んでいる。重力に至っては重力波の観測すら出来ていない状態だからまるで解らない、という所。


反宇宙の話が出たんでもう一つ与太話を。

反物質で出来たもう一つの宇宙は否定されたけど、最近の量子力学では多世界解釈というのがまじめに議論されているらしい。(”らしい”ばかりだな。まあ素人の言うことだから上の文も含めて眉に唾を付けて読んで下さい。)
素粒子はある広さを持った空間に確率的にしか存在しないのだが、実際に観測すると、特定の場所に存在することが判る。つまり不確定性原理で何処にあるか理論的に確定できないはずの物が、観測すると確率的に分布する中の一点に粒子として存在する。それでは存在するはずの他の確率は何処へ行ってしまったのか。
現在の量子力学ではこれを波動関数の収束といって、在るがままに受け入れているが、アインシュタインをして「神はサイを振らない」と言わしめたほど奇妙な現象なのだ。
つまり我々は現実には神の振ったサイコロの目の上に住んでいる訳だけれど、じつは素粒子が別の場所で観測された別の世界があって、そこには少しだけ違った自分がいる(かもしれない)という解釈である。サイコロの目の数だけ世界が在るなら神がサイコロを振ったことにはならない。

同じ時間、同じ場所に多数の世界が共存するためには4っの次元だけではなく人間に感知できない第5、第6の別の次元を仮定しないとならないので今のところ検証はできないが数学的には矛盾しない(らしい)ので否定もできない。だから理論じゃなくて解釈なのだろうけどSF的には反宇宙以上に魅力的な考え方である。
往来はできないけど、自分がどんどん分岐して別の世界で少しずつ別の人生を送っているかもしれない。しかもこれはSFじゃなくて現実にありうると考えるのはとても楽しい。

04年  08月 某日

■  怪談・増上寺門前の溺死体
去年は夏が来ないで梅雨寒のまま、いきなり秋になってしまったが、今年は梅雨を飛ばして6月からの猛暑である。
あまりに蒸し暑さが続くので、寝苦しい夜のつれづれに、昔体験したこわーーーい話を一席。

私はかつてフリーターだった時期がある。一度就職したが一年ほどで退職して、その後の数年間、アルバイトで生活していたのだ。いろいろな仕事をしたが、その中でも吉野家でのアルバイトが一番長かった。途中バイクの事故で半年ほど中断した期間を挟んで足掛け2年以上やっただろうか。
場所は芝大門である。この店がまだあるかどうかは知らない。当時は東京に住んでいたのだが、今は近くまでは行っても第一京浜を通り過ぎてしまうのだ。

芝大門は山手線の浜松町駅から5分ほどのところで、増上寺の門前町であるが今はすっかりオフィス街になっている。
芝・増上寺は徳川家の菩提寺で、風水によって江戸の南を守るために建立されたとか。将軍の墓もあり、時代劇にもその名が時々登場する大きな寺である。

その参門の前の牛丼屋で夜10時から翌朝の8時まで一人で接客と清掃などの作業をする。
一人でやっていて1時間にだらだらと30人も入ると接客だけでなにも出来なくなる。ちなみに朝は100人/時なんてこともあったが、これはもう地獄である。
しかしオフィス街だから昼間は人も多いのだが夜になるとばったりひと気が無くなる。
終電を過ぎると一時間以上、一人の客も来ないなんてのもザラだったから、牛丼を売るというより深夜のメンテナンスをしていたようなモノだ。もっとも、そういう事情は店によってかなり違うが。

そんな、ある夏の暑い夜。
さして客も来ないので、近くの自販機で買った午後の紅茶(私は缶コーヒーが苦手である)を飲みながら、一服したら作業を始めようか、などと考えていると来客が。
「いらっしゃいませ!」と元気な声で静寂を破ると客の対応である。そして牛丼を出し終わると次の客が。
なぜかその時に限って次々に来客があった。急に客が増えると対応が大変である。もう、たいして入客も無いだろうと思っていたので準備をしていなかったのだ。その上メンテ作業が遅れるから気分も少々あせってくる。電車はとっくに止まってるのに何でだよう、などと思いながらも必死で40人/時のペースの接客をしていた。
そしてまた、ぱったりと客足が途絶えた。いつものペースに戻ったのだ。
店内に客がいなくなると静寂が戻る。外はひとっこ一人いない深夜のビル街である。
ああ、これで作業が出来る。ほっとしてカウンターの陰の席に腰を降ろすと紅茶が残っていた。
そうだ、休憩の途中だったんじゃないか。一人だとこんな事はよくある。適当に暇を見計らって休まないと休めないんである。
さて、作業が遅れてる。気を取り直してさっさとやらなければと、残りの紅茶を一気に飲み干した。

っと、舌に  "ザラリ"   とした感触。
そしてセロファンを口に入れたような パリパリ とした感じもする。

グェ!
缶入りの紅茶を飲んだはずなのに何なんだ、これは!。
訳が解らないが本能的に恐怖を感じた私は口の中の物を厨房の白いタイル床の上に吐き出した。

そこに現れたのは
紅茶の中で溺死してダラリと羽を拡げた ゴキブリの死骸 であった。
ザラリとしたのはゴキブリの足、パリパリしたのは羽だったのだ。

あれから20年以上。今でもあの舌の上の ザラリ パリパリ とした感覚ははっきりと覚えている。

ねっ、恐いでしょ (^−^)

04/08/05
雑記|| コメント: 0

Page:
[0] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]